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今あるものを


「殺生丸って、すきなひと、いた?」


己の膝についたひじを、思わずずり落としそうになった。
何を言い出す、この娘は。


「かごめさまがね、男の人は、一度好きになった人を絶対に忘れられないんだって。
だから殺生丸さまもかなって」


また人里で妙なことを吹き込まれたらしい。

「人間の下らぬ論を持ち出すな」

煩わしくて一蹴するが、まだ納得しないらしい。


「でも殺生丸さま。
弥勒さまがね、男の人は、最期の最期の瞬間に、一番大切な人を思い出すんだって。
そのとき思い出した人が笑っていたなら、男の人は幸せに死ねるんだ、って」


殺生丸はりんの形のよい瞳を覗いた。
吸い込まれてしまいそうな漆黒の瞳は、殺生丸の言葉を待って蘭と光っている。
形のよい唇が、次の言葉を紡ごうと新たな形を作っている。


「りんもね、あ、りんは女の子だけど。
りんもね、最期は殺生丸さまを思い出したいなあ。
殺生丸さまが目を閉じていても見えるくらい、覚えていたい・・・」

後ろのほうは吐息と入り混じるように吐き出した。

 

幼い少女はこのとき何をどこまで考えていたのだろう。
今となっては、殺生丸も、りん自身もよくわからない。

少女から娘へと開花したそれは、今はただ銀と金の月を穴が開くといってもよいほどみつめていた。

一点だけ灯った灯りの中、静まり返った閨に敷かれた布の上に横たわったまま、上から降り注ぐ銀の髪を指でもてあそび、それでもなお自分を覗き込む月を必死でみつめる。


「何を見る」

りんは口角を上げた。
その笑みがあまりに艶やかで、大妖はその香りに眩暈に似た感覚を味わう。

「殺生丸さまを目に焼き付けておくの」

「・・・馬鹿なことを」


そんなことをせずとも。


銀の妖怪は少女の胸に己の髪を横たえながら、その首筋に唇を近づけた。

少女はくすぐったそうに身をよじる。


この身体に私を覚えさせればよいだけのこと。


己が口付けた場所は赤く変色し、りんの首筋に小さく花を咲かせた。
自分が満足げな顔をしていることに気づき、慌てて少し顔をしかめた。

りんは頬を緩める。

「殺生丸さま、百面相」

「・・・お前に言われたくはない」

殺生丸の言葉にりんは頬を膨らます。
しかしどこか嬉しげに。

 

 


厭んだ者は数知れず、蔑んだ者も後を絶たず。
ただ今あるこの花だけを、真になくしたくないと願う。
やがて散りゆくとしりながら、それを手のひらで転がし続ける。
我が絶対零度の体温で枯れさすとしりつつも、それを手放すことは出来ない。

この世の果てに、何を思う。

お前は私を思うと言う。
おそらく私を、そして私の、お前の行く末を思うのだろう。

一寸先など興味もない。
今あるものだけを切に願う。
ただ壊れゆく思いの先が恐ろしいのだと自覚しながら。

 

拍手[3回]

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再来


会いに来ると言った


必ず会いに来ると

 

 

 

 

 

 

 

知ってる?殺生丸さま

 


輪廻の輪っていうのがあってね
人は悪いことをしなかったら
その輪に乗って
また生まれ落ちることができるの


りんもきっと輪廻に乗るから

殺生丸さまが生きているうちに

もう一度会いに行くから

 

 

りんがいない時を
りんの命より永い時間をあなたは生きるから

いつかりんのことも忘れちゃうかもしれないね

 


それでもいいの
 


りんがまた殺生丸さまに会えたとき

少しでもりんのこと
思い出してくれるなら

 


りんは忘れないよ
殺生丸さまがくれたもの
思い出も全部
すべてもってりんは逝くから

 

 

むこうでおっかあやおっとうに
今までどんなに楽しかったか
いっぱい話そうと思うんだ

 


だから殺生丸さま
そんなお顔しないで…?

 

 


りんはとても
とても幸せです
今この時も

 

 

 

 

 


お前を失い一日
動かぬお前を抱いていた

 

お前を失い一年
お前の着物を抱いていた

 

お前を失い百年
もう旅の意味さえわからない

 

お前を失い千年
お前のあの言葉の意味がわかった

 

お前を失い一万年
世界に色が戻る


 

拍手[64回]

はたたがみ

慌ただしい日だ。

布団に顔を埋めていても、忙しい声と足音が幾つにも重なってりんの耳を打った。

この音はさぞかし主を不快にさせていることだろう。

しかし屋敷の従者たちは今日はそこまで気を使えないらしい。
それほど忙しい何かが、今日はあるのだ。


いつもなら朝日が顔を撫で、朝を告げるとともに布団から跳ねるように起き、手際よく布団を片づける。

それからすぐにりん一人のために炊きだされた煙がもうもうと見えるお勝手へと駆け出し、朝餉の準備を手伝う。

今のように、目を開けているのにいつまでも布団から出てこないなど、ありえないことだった。


しかし今日は従者たちも気を使ってか、だれもりんを起こそうとはしない。

――ただ忙しかったからかもしれない。
どちらにしろ、ありがたかった。

 

身体がつらいわけではない。
この屋敷に来たのは、確か五月ごろ。
今は九月初旬なわけで、もう三カ月以上ここでの生活が続いている。

すっかり従者の妖怪たちとも馴れ、日々不自由ない生活を送らせてもらっていた。


ただ、今日は…
来客があるのだ。
ここの主、殺生丸に。

 

 

 

 

 

相変わらず閑散とした部屋で、殺生丸は己の不機嫌を隠せずにいた。

こつこつと上品な木の音が響いた。


「殺生丸さま、本日の御召し物を…」

「いつものでよい」

大ぶりな木箱を抱えた妖怪は、主の機嫌の悪さがあまりに予想通りで思わずため息が零れた。

殺生丸の冷ややかなにらみによって気を持ち直す。

「し、しかし殺生丸さま。
本日はそのようなわけにも…」


殺生丸は頬杖をついて、従者のほうに目もかけない。


(子供のようだ、この御方は…)

従者は軽く息をついて、木箱を部屋の中に置いた。


「お着替えくださいませ」


そっと立ち去ろうとすると、低い声が引きとめた。

 

「…りんはまだ起きぬのか」

「は、りんさまは…そういえばお目にかかっておりませぬ」


返答して、そうかと思い当った。
だからこの御方はますますこのようなのか。


「起こしてまいりましょうか」

「…よい」

「…は。失礼します」

 

従者が去り、再び部屋に沈黙が落とされた。
床の間に活けられた不格好な一輪ざしが、殺風景な部屋の中、ひとつだけ騒がしかった。


――いつまでもこうしていたって仕方がない。
りんは思い体を起こして、布団を片した。

寝巻きから、いつもの市松模様の着物へ着替える。
――少し前、伸びたりんの背丈に合わせて新調されたものだ。


まだ少し堅いが、はやりその橙がりんらしさを醸し、丸い緑の輪がりんの全体を引き締めた。


・・・よしっ。

大きく襖を開くと、目の前には新緑の葉桜―――
のはずが、それは大きな影に遮られていた。

 

「・・・せっ・・・殺生丸さまっ・・・!
い、いつから・・・」

 

殺生丸は何を言うでもなく、そこにいた。
りんの問いに答える風でもないが、唇は少し開いている。


「・・・殺生丸さま?」

はっと殺生丸は焦点を合わせるかのように顔を引いた。

 

「・・・起きていたのか」


「・・・あ・・・ごめんなさい・・・今日は忙しいのに・・・」


「かまわぬ」


そうは言うものの、一向に殺生丸は立ち去ろうとはしない。

佇む白い体を前に、りんはどこを見てよいのか戸惑い、無意味に目を泳がせた。


不意に、目の前に一本の棒がりんに差し出された。

棒ではない。
それは紛れもなく殺生丸の刀、天生牙だ。


「持っていろ」

強く押すように差し出され、思わず手を伸ばして受け取った。

殺生丸が片手で振るっていたそれは、りんの腕にずしりと重かった。


「・・・天生牙・・・?・・・どうして・・・」

「それを持ってここにいろ」


背を向けた殺生丸にこれ以上問うことは阻まれた。

「・・・はい」


「・・・お前が気にかけることは何もない」


それだけ言い残し、殺生丸は長い廊下の向こうへと消えた。

その後姿を見送ってから、言われたとおり自分の部屋へ戻り中央に刀を置いた。

 

恐ろしくも、高貴でもある天生牙は、りんにさえ威圧感を与えた。
しかしそれはけして息苦しいものではなく、むしろ殺生丸の護りを感じる。


「・・・邪魔するな、ってことなのかな・・・」


りんの声は部屋に響いたが、天生牙が反応することはなかった。





前々からこの日が来るのはわかっていた。
母はけじめだとも言った。
決めるのは私だとも。

 

我が犬一族には、母以上に年を食った老犬が何匹もいる。
それらは古めかしい考えばかりを引きずり、この殺生丸にさえ口を挟む。
父のときもたいそうなものだったらしい。


しかし本家であるのはこの館。
いくら老いた者が口を出そうと、決めるのは私だ。

 


だが、老犬たちは諦めなかったらしい。
遠く血のつながった一族の娘との見合いを条件に、これ以上口を挟まぬと提案してきた。
むろん、りんについても。


それならば、と手を打った。
見合うだけならば構わぬ。即座に終わらせるまで。

 

 

ふいに障子が開いた。


「殺生丸さま、相手方がお着きになられました」

強い香のにおいがした。

 

 

 

 

 

 

 


―─────

急に静かになった。
おそらく今頃、殺生丸さまは―――

ふるふると頭を振って、握り締めていた縫い物を再開した。


・・・が、その縫い目はがたがたとして、まるで手負いの蛇が這っているようだ。


「・・・下手」

 

諦めて、ぱさりと布を放った。


部屋の中央にある一本の刀は依然として威厳を保ったまま、黙っている。

 

・・・どうして殺生丸さまはこれをりんに・・・

答えの出ない自問を幾度となくめぐらせていた。

 


突如、辺りの静寂が破られた。
陶器が砕けるような、いやな音だった。
否応なくりんの方が跳ねた。

 


・・・殺生丸さまはこの部屋にいろと・・・でも、でも。


外に何があるか分からない。
安全なのはここだけなのかもしれない。
それでも、一人でここにいるより・・・


りんは横たわる天生牙を手に、自室の障子を開けた。

 

それまで、唯一ある客間で、殺生丸はいかにも憂い気にあるものと対峙していた。

犬一族の老い頭が送った、血族の姫である。


同じ犬臭さが漂うのも我慢ならない。
その上さらにきつい紅の匂いも。
赤や金の目に痛いような着物も仰々しくて鬱陶しい。

 

 

「話に聞いていたとおり、本家の犬妖は物狂いばかりと聴いておりました。
故に、この館はまことに人くさい。
そなた、人間を飼っていると聞きます。
何の遊びのつもりか知りませぬが、そろそろ我と身を固め、濃い世継ぎを生まねばならぬと分かっておいででしょう?」

 

姫は目を細め、艶やかに微笑んだ。
しかしそれも殺生丸には卑しくしか映らない。

 

「その気はないと言っている」


姫はまた笑う。


「そうかと言ってもこの縁談、他に選択の余地はありませぬ。
・・・何が気に入りませぬ?
すでに駄々をこねるような齢ではありますまい」


姫が殺生丸ににじり寄ったとき、二匹の鼻を異香がついた。

 

 

「・・・っ!この匂い・・・人間か・・・
あら、殺生丸殿・・・どこへ行くおつもりです?」

知らぬ間に腰を上げ、立ち上がろうとしていた。

 

――りん、部屋から出るなと・・・

 

はたから見ればなんらかわらぬ殺生丸の面(おもて)も、今回ばかりは多少の焦りがにじんでいた。


姫はそんな大妖を見て、顔色を変えた。

 


「───まさか殺生丸殿・・・
人間に懸想しているのではありますまいな!?
西国の王ともあられる者が・・・!
故にこの縁談、不承していたのですな・・・!」


顔を背ける殺生丸に、姫は口角を上げた。


「・・・そういうことならば、この私が障りなくして進ぜましょう」

 

 

 


ふいをつかれた。
りんの匂いを探っていた。
犬の姫が風と化して部屋から出るのをとどめることができなかった。


小さく舌を打ち、殺生丸は後を追った。

 

 

空は雲に覆われ、犬妖二匹が過ぎる縁側に影を落としていた。

 

 

 

 

 

 

 

―――部屋を出て少し進むと、音の正体はすぐに分かった。

 

妖怪の従者たちが、屋敷の蔵物を整理し、手はずれで陶器を落とした、ただそれだけだった。


妖怪たちはせっせと蔵の片付けに精を出し、りんが部屋を出たことに気付いてもいない。

りんはその横をそっと通り過ぎた。



――りんも鼻が利けばいいのに。
こんな広い屋敷では、求める人がどこにいるのか見当もつかない。


りんはそっとため息をつき、薄暗い空を見上げた。

 

夏の名残だ。
一雨来るのだろう。
曇天は、さらにりんの心を重くした。

 


―――昔、まだ母も父も兄も、家族そろっていた頃、近所の若い娘に縁談の話しが上がった。


確か、その頃に初めて『お見合い』という語を聞いた気がする。

 

娘は祝言をあげるわけではないにしろ、いつもより立派で上品な着物を着て髪を結い、化粧をして、幼いりんから見てもそれは美しかった。

 

そんな女性が、今日は殺生丸に会いに来ている。


見てもいない見合い相手を想像し、それに対面する殺生丸に思いをはせるだけで、胸の奥がしぼんでしまうようだった。

消化できない想いの正体が、近頃分かるようになってきていた。

 

 

 

 

 

 

 


とんと地面をたたく音がしたと思うと、途端に大粒の雨が降り出した。
地面が雨をはじく音がやけに大きく聞こえて、恐ろしさが倍増した。


(早く殺生丸さまのところに)


行き先も分からず足を速めようとした。

 

そのとき、強い風がりんの足を止めた。
思わず目を閉じる。


次に目を開いたときは、美しい女がりんの眼前に立っていた。

 


「お前か、殺生丸殿が飼っている人間は。
・・・まだ小童ではないか」


思わず息を呑んだ。
美しい、とても美しい妖怪(ひと)だったけれど
その目は深くりんを射すくめた。

 


奇妙なほどに白い手が、りんの首を即座に掴んだ。
後ずさる隙もなかった。

 

「・・・愚かな主が、お前のせいで道をはずそうとする。
・・・死ね」

 

視線の先で、女の爪が光った。


無意識に、女の手を掴んだ。

姫ははっと目を開き、それからほくそ笑んだ。

 

「・・・反抗するのか。面白い。
・・・お前などに、人間などに何ができる。
殺生丸殿の何になろうというのだ」


首を掴む手が強くなる。
気道が狭まって、声がかすれた。


「・・・り、りん、は・・・」

「西国の王が人に懸想しておるというからどれほどのものかと思えば、まさか小娘だとは。
・・・どうやってたらしこんだ?
たいして美味そうな匂いもせんが」


冷たい瞳がりんに近づいた。
目をそらすこともできない。


再び激しい風が巻き起こり、雨の音が遮られた。



りんは目だけを動かして、それが殺生丸だとわかった。

怒りがにじんでいるのもわかる。

 

「・・・手を離せ」

姫は首だけを動かし、殺生丸を捉えた。


「ずいぶんと困惑しているようですな、殺生丸殿。
この人間、どうするおつもりですの?」


「どうするつもりもない。離せといっている」


殺生丸の爪がこきりと音を立てた。

 

姫はりんの首から手を外し、腰に手を回した。

気管に酸素が入り込み、りんは激しくむせこんだ。

 

「いずれ食ってしまうおつもりなら、今でも構わぬのでは?
なぁ人間?
お前こそ、主に食われて本望であろう?」


殺生丸の髪がざわりと揺れた。


「そう憤するところを見ても、たいそうな思い入れらしい。
人間、お前こそ幼きうちに食われたほうがよかろう?
大方、お前もこの妖怪に想いを懸けていると見た。
くだらんものに一喜一憂する愚かさよ。
殺生丸殿の父も相当な奇人だったらしい。
そのような父に成り下がってよいのです?
殺生丸ど・・・」

 


「・・・違う・・・」

 

雨音と、それに混じる雷鳴にかき消されそうなほど小さく、しかししっかりとした声が姫を遮った。

 

 

 


「・・・せ、殺生丸さまは・・・殺生丸さまはおかしくなんかないっ!!
りんが・・・りんが一緒にいたいからここにいるの!!
殺生丸さまも・・・殺生丸さまのおっとうだって、おかしくなんかないんだからっ!!」

 

 


堰を切ってあふれ出すりんの言葉に、姫はもとより殺生丸さえ目を丸くした。

しかしそれも一瞬のことで、途端に姫の目は怒りに満ちて赤く光った。

 

「・・・知ったようなことを・・・!!」

 

 


りんの目の前で爪が光り、それが振り下ろされるよりも早く、殺生丸の指が姫の首を捕らえた。
左腕にはりんが収まっている。

 

 

 

「去れ」

 

 


細い手に圧倒的な力を込めた。

反論を試みて開いた姫の唇も、殺生丸の並々ならぬ怒りを前にして、言葉を発することはなかった。

小さく舌を打ち、姫は地を蹴った。


竜巻のような風を起こして姫が飛び立った雨空から、低い声が響いた。

 

 

 

──人と妖怪など相容れぬもの――

――交わることなど許されぬ――

――袖触れ合ったこと、後悔するがいい――

 


雷鳴と共に轟くように鳴り響き、空気に紛れるように消えた。

 

地面を強く雨がたたく音だけが残った。


「・・・くだらん」


するりと殺生丸の腕がりんからすり抜けた。
触れられていた部分から、急激に熱が逃げるようだった。

 

「・・・い、いいの・・・?殺生丸さま・・・
邪見さまが大事な、え・・・縁談だって・・・」

 

「私が望んだものではない」

 

殺生丸の手が、りんの片手にかろうじてぶらさがっていた天生牙を取った。

 

「役には立たんだな」


少し呆れるように刀に視線を落とした。

 

「・・・っそんなことないよっ!
天生牙は・・・あの人が殺生丸さまと・・・殺生丸さまのおっとうの悪口言ったとき、急に熱くなって・・・
・・・天生牙も怒ったんだよ、きっと」

 

そう言い切る自信はどこから来るのか不思議なものだが、天生牙に意思があるのは使い手である殺生丸も無論知っている。

だからそういうことにしておいた。

 

 

 

薄暗い辺りを雷光が明るく照らし、太い雷鳴が鳴り響いた。
思わず殺生丸の振袖を握った。

しばらくどちらも黙ったまま、雨降り続く空を見ていた。

 

 

 

「・・・呪い、みたいだったね」


りんの口から不似合いな言葉が出たことに少し驚いた。


「後悔するがいい、だって」


「・・・戯言だ」


「うん、りんもそう思う」

 


力強くそう言うりんが、意外だった。


――強くなった。りんも、その内も──

 

 

 

 

 


「・・・着物を着替えろ。崩れている」


はぁいと返事をして、自室へと舞い戻った。

その足取りは軽い。

 

 

後悔することなんてひとつもない。
いまここにいることがこんなにも嬉しいから。

 


※はたたがみ:雷
 

拍手[40回]

蝉時雨


照る音が聞こえそうなほどの強い日差しが背に焼け付く。

汗は流れぬとはいえ、この暑さはいい加減鬱陶しい。

顔に張り付く長い髪をかきあげ、殺生丸は門をくぐった。

 

徐々に大きくなる足音が響く。

「殺生丸さま!!」

それこそ子犬のような小さきものが軽やかに駆けてくる。

「殺生丸さま、おか・・・」


はっと思いついたかのようにはたはたと髪を直し、捲れた着物の裾を正して殺生丸に向き直った。

「おかえりなさい、殺生丸さま」


りんの微笑の上にはいくつもの玉が光っていた。
ふいに手が伸びて、それを細い指が拭う。
慌ててりんも帯に挟んでいた布で汗を吸い取った。

「ごめんなさい、阿吽が暑そうだったから水を浴びさせてて・・・
殺生丸さまが帰ってきたって聞いて急いで飛び出してきたから、りん汚いままで・・・」


「構わん。早く着替えろ」

「あ、はいっ」


再び走り出そうと身をかがめたが、思いとどまって姿勢を直し、ゆっくりと足を交互に踏み出す。

どこか慣れないその後姿に、大妖はなんとなく以前のりんが懐かしく思えた。


――――

屋敷に戻って二月(ふたつき)、りんの成長は目覚しいものだった。

朝は裁縫など手先のことを習い、昼は侍女二人から勉学し、夕刻は邪見の小言とともに夕餉の支度をすませる。
依然として殺生丸がりんの成した物に手をつけることはなかった。
りんも以前のことが苦かったのか、あれ以来殺生丸に進めようとはしない。

邪見、推古、宋耶などから伝えられるりんの一日の挙動を淡々と、しかし満足げに聞いて殺生丸の一日は終える。

 

そのかいあってか、りんの落ち着きぶりは見事だった。
未だに興奮するとなりふり構わず・・・となるところがあるが。

 

己がつけさせた教養であったが、日に日に変わりゆくりんに違和感を覚えて仕方がない。

大きく口をあけて笑うことも少なくなった。
走る際は足音小さく、着物の裾を押さえるようになった。

ここまで変わるものだろうか。

ふと呟いた言葉に、推古は朗らかに笑った。


「女は変わるものですよ。妖怪でも、人でも」


それがあなた様のためならば、と。

 


その日も強い日差しが屋敷全体を包んでいた。
宋耶が静かに障子を滑らす。

「りんさま、おはようございます。
本日もとてもよい日で・・・」

「ん~・・・」


いつも寝起きのよいりんがなかなか布団から顔を出さない。
宋耶がりんに歩み寄った。

「りんさま?
御加減がよろしくないのですか?」

「ちょっと・・・お腹痛い・・・」

「あら、大変!夏風邪でしょうか。
消化の良い物を用意させましょうね」

りんはゆっくりと上体を起こした。

「ううん、本当にちょっとだから大丈夫・・・
顔洗ってくるね」

立ち上がり寝ぼけ眼をこすって廊下へと進んだ。
背後で宋耶が息を呑んだ。


「りんさま!足を・・・!!」

「ほぇ?」

つと視線を下げると、黒いものが一本の筋になって足首まで流れている。

「お怪我をなされましたか!?薬師を呼んでこなければ・・・!」

宋耶は慌てふためき顔色をなくしている。
一方当事者は安穏とそれを眺めていた。

「ま、待って、宋耶さま。りん全然足痛くないよ。
これ・・・血・・・?」


薄く伸びて伝うそれは浅黒い赤にりんの足の甲を染める。
嫌な匂いが鼻をついた。


「と、とりあえずお体を清める布を持ってまいります。
それに薬師にも相談を・・・」

ばたばたと慌しく宋耶は部屋を飛び出した。


1人残されたりんはつくねんと足元を眺めた。
ずきずきとお腹が痛い。
横になろうかと思ったが、着物を汚してしまうのでやめた。
思い立って先ほどまで寝ていた布団を捲ると、案の定濃い赤が染みていた。

(・・・お布団洗わなきゃ)

なす術もなく佇んでいると、障子の向こうに人影が現れた。
なかなか入ってこようとはしない。
宋耶と推古のようだった。

そっと障子に近づくと、なんとなく声が聞こえた。

(・・・だから・・・人里に・・・)

(・・・殺生丸様が・・・)

(・・・私たちでは・・・えぇ、人間の・・・)

(・・・りんさまに・・・阿吽を・・・)

言葉の断片は飛んでくるが、いまいち意味をつかめない。
静かに障子が開いた。

二人はいつものような穏やかな顔をしていたが、どこか困っているように眉は下がっていた。

「りんさま、今からりんさまのお知り合いの人里に行って頂きます」

「私たちではどうもわかりませんことで・・・」


口々に言葉を繋げる二人に、りんは慌てふためいた。


「え、え、なんで?
・・・りん、病気?」

・・・こんなにいっぱい血がでてるもんね。

 

宋耶、推古も慌てて首を振った。

「いえいえっ、とんでもございません!
りんさまはお知り合いの方に、ようく話をお聞きになってきてください」


似通った顔がずいと近づきそう言われ、押されるがままに首を縦に振った。


そのままてきぱきと手短に支度を済まされ、少し困り顔の邪見と共に阿吽に乗った。

 

「り、りん、正午にまた迎えに来るからな」

そう言い残し、邪見は慌しく阿吽に乗って去ってしまった。


1人村はずれに残されたりんの前に、匂いを嗅ぎつけたのか犬夜叉と弥勒の二人が現れた。


「おや、珍しい妖気がと思えばりん、お前でしたか」


未だに状況を飲み込み切れていないものの、りんはとりあえず屋敷の者に人の女に話を聞いて来いといわれたという旨を伝えた。


なんとなく状況を読んだ弥勒が、なんだなんだと騒ぎ立てる犬夜叉を残し、かごめや珊瑚たちのところまでりんを案内した。

 

 


――――

 

「で、ではりんが世話になったな」

「かごめさま珊瑚さま、ありがとう!」


日が高くなった頃、邪見は再び妖獣をつれて村に現れ、せわしくりんを連れ戻してしまった。

 

 

「あぁ、びっくりした」

「ほんと、ね」

「何にびっくりしたって・・・」

二人は顔を見合わせた。

「りんちゃん殺生丸の屋敷にいるんだ・・・」

 


――――


「ねぇ邪見さまー」

「な、なんじゃっ」

「りんもう大人なんだってー」

阿吽が空を翔る速さのため、顔の横を吹き抜ける風に声を持っていかれてしまう。
りんは前にちょこんと座る邪見に声高に叫んだ。


「そっ、そんなことないわっ。お前はまだ子供じゃっ」


そういったものの、いつものごとく返ってくるだろう反論がないことに、邪見は顔をしかめた。


「り、りん?」

「・・・りんも、まだ子供でいたかったなぁ・・・」


思わぬ発言に、邪見は言葉を詰まらせた。
そのまま言うべき言葉も思いつかず、2人と1頭は屋敷へと舞い戻った。

 


目下の屋敷が大きくなるにつれて、その脇に立つ者が目に付いた。

「あ、殺生丸さま」

「たっ、ただ今戻りました!」

邪見が阿吽から飛び降り、へこへこと頭を下げる。
りんも滑るように阿吽から降りた。


「加減は、どうだ」

「え?」

「体はよいのか」

途端にりんの頬が染まった。
調子を尋ねられただけなのに、なぜかすごく恥ずかしいことを聞かれたような気がした。


「う、うん、今は…」

不自然なりんの仕草に、調子が悪いのを隠していると思ったらしい。
近頃穏やかな弧を描いていた眉が、久々に少し上がり気味に傾いていた。

「今日は寝ていろ」

「えっ、でも」

「邪見、りんを連れて行け」

阿吽は竜舎へ連れて行こうとしていた邪見は、慌ててその手綱を他の従者に任せた。

「は、はいっ!ほら、りん!行くぞ!」


邪見に促されてりんも歩を進めたが、名残惜しげに振り返ると、もう殺生丸はいなかった。

 

――――

かごめに教えられたとおり、ある日突然起こったりんの体の変化は、数日間でおさまった。
しかしこれが来月もあるのかと思うと怖くもある。

 

あの日から、殺生丸と会話らしき会話をした覚えがない。
背中を見つけて駆け出しても、同じ屋敷内だというのに見失うことも多々あった。

この部屋にいると分かっているとき、部屋の前で立ち往生していると、以前は殺生丸から声がかかった。
しかし最近はそれさえもない。

思えば、あの日より少し前から、殺生丸に直接触れる機会もなかった気がする。
膝に座ったり、髪に触れたり。

それを拒まれたことはないが、今までの気易い雰囲気はなくなっていた。

 

 

「忙しいのですよ。隣国からの使者なども参りますからね」

推古に殺生丸の様子を尋ねてみたら、そう返ってきた。


自意識はないが、物分かりの良いほうである。
そうなのか、と納得するしかなかった。


屋敷の一角には、なぜか鬱蒼とした竹藪があった。

一人で屋敷をうろつくなと言われていたうえに、薄暗いそこに近づこうとも思わなかったため、特に気にも留めていなかった。

 

 

「りんさまは筍というものがお好きですか?」

夕餉の支度をしていると、宋耶に尋ねられた。

「たけのこ?好きだよ」

「私たちは食事らしい食事が必要ないもので、りんさまがお口になさる好みのものを聞いておこうと思いまして」

「そういえば、お屋敷の隅に竹藪があったね」

「はい、以前の御当主さまがなぜか突然竹を植えろと言いだしたのです」

宋耶は思い出したかのように小さく笑った。

「春になったら一緒に筍採りに行こうよ!」

静かな竹藪の中で宋耶たちと筍を探す自分を想像して、早速楽しくなってきた。

 


推古が昼餉を持ってきてくれると言って席を立った時、ふとあの竹藪を思い出した。

そしたら突然行ってみたくなった。

そっと障子をあけて辺りを覗いたが、しんとして人はいない。
そっと外履きに履き替えて目当ての場所に向かった。

 

一歩竹藪に入ると、数度気温が下がったように涼しかった。
遠くで鳴く蝉の声が聞こえる。
少し湿った地面が足元に食い込む。
かするように触れる土の冷たさが心地よい。
久しぶりに草履を脱いでみた。
旅をしていた時のように。
じかに触れる土がこそばゆい。
嬉しくなって、一人でふふと笑った。


脱いだ草履の鼻緒を指でなぞった。

殺生丸がりんのためにと持ってよこしたものだった。

(これを履け)

(草履?)

(…いつまでも裸足というわけにもいかぬだろう)

(りん裸足で大丈夫だよ。でもありがとう、殺生丸さま!)


りんの素足の傷を見かねて贈ってくれたのだろう。
りん自身も分かっていた。
殺生丸がいつにもますこの屋敷に来てからの己に対する優遇を。


だからこそ、それに満足しきれない自分が腹立たしい。


大切なものとの間には、引かれた一線がなくてはいけないのだろうか。
 


「なんだかなぁ」

物足りないわけじゃない、でも。

足りない

足りない

足りない


殺生丸さま。

 

「一人でうろつくなと言ったはずだ」

大妖の声に、竹は一瞬で雰囲気を変えた。

「…殺生丸さま」

「屋敷は大騒ぎだ。皆がお前を探している」


そうだ、推古はりんの昼餉を取りに行ったのだ。
戻ってりんがいなければそれは大騒ぎだろう。

 

「…ごめんなさい」

帰ろうと殺生丸に背を向けたが、背中からも殺生丸の麗しくない機嫌が感じ取れた。

 

 


「言いたいことがあるなら言え」

きびすを返して見ると、責めたわけではないと言いたげに殺生丸の眉間には浅く皺が刻まれていた。

「…言葉もなしにお前をわかることは出来ぬ」


りんの頬は一瞬で赤く染まった。


「せっ…殺生丸さまの方がわかんないよっ…!
どうして…どうしていつもりんが会いに行ってもいないの?
どうしてりんを呼んでもくれないの?
りんはずっと待ってたのに!」

怒りとは違う何かを湛えたりんの瞳はゆらゆらと揺れる。

 

 


こんなことが言いたいのではない。
殺生丸の言葉が欲しいわけでもない。
莫迦みたいにわめく自分が醜くてしようがない。


「りん、私は」

「…いい、の…ごめんなさ…」

りんが目を伏せた次の瞬間には、りんと殺生丸の距離はぐっと縮まっていた。

「話を聞け。私のこの国での立場くらい、分かっているだろう」

りんは鼻をすすってうなずいた。

「そこにいるお前は他の妖怪から見れば、私の餌か…妾にしか見えん」

自分が発した言葉がおぞましいとでも言うように、殺生丸は顔をしかめた。

「だからこそ、しばし時が必要」

「とき?」

「…いつかわかる」

「…どうして?」

「…お前もいつまでも幼いままではない」


まただ。
殺生丸さままで。

「…殺生丸さまといられないなら、りんずっと子供のままでいいよ…」

思わずあからさまなため息が零れた。

それでも駄目なのだ。

永遠などないことを思い知れ。

 

 

梢のように細い指がりんの唇に触れた。


「…いずれ、必ず、時は来る…」


「それまでりんは待つの?」

 

待て、と言おうとした。

だが、これまでりんをどれだけ待たせたことだろう。

一人で。
気まぐれな主を待ちながら。
ひたすらに。
たとえついてきたのが己の意思だとしても。


そんなりんに再び待てと諭すのは、あまりに酷な気がした。

 

 


「…お前次第だ」


どういうこと?とりんの首が傾いた。

 

 


―――まだだ。
まだ、早い――――

 

 


雲ひとつないはずの空を見上げた。

鬱蒼と茂る竹藪に阻まれて、青いはずの空は暗かった。

わんわんと蝉の声だけが雨のように降り注ぐ。

 

竹の葉の隙間からこぼれる光が、早く早くと先を照らしていた。

 

拍手[47回]

若菜


鳥のさえずりと、桜の青葉が風になく音を遠くに聞きながら、りんはうっすらと目を開けた。

こんな小さな音で目が覚めるなんていつ振りだろう。
いつもなら、お天道様がまぶたを照らす明るさで目覚めていた。


遥か高くに天井がある。
上品な木の香りが鼻を掠める。

こんな元気なさえずりが聞こえる朝なら、目を開けたとたん視界は青でいっぱいになるはずなのに。


ふと自分が温かなものに包まれて寝ていることに気付いた。

…お布団。


寝ぼけ眼をこすってはっとした。
そうだ、昨日から殺生丸さまのお屋敷に…

せわしく起き上がり、周りを見渡した。

相変わらず閑散とした部屋がりんを見つめ返してくる。
目覚めて一番に見える姿がないことに、りんは少々落胆した。

―殺生丸さまのところに行こう。

思い立つや否や、りんは襖を小さく開けて外の様子をうかがい、そっと廊下へ出た。

渡りを通って昨日教えてもらった殺生丸の部屋へと向かう。

…ここ、だよね


そこはほかの部屋同様に締め切られた襖が立ちはだかっていた。

別の部屋から少し話声が聞こえる。
従者の妖怪たちだろう。


殺生丸さま、もう起きてるかな。
りんのほうが早く起きたことなんてないからきっと起きてるよね。
…もしかしてもうどこか行っちゃったのかな。
お部屋…とっても静かだし…

襖に伸ばした手を宙に浮かせたまま、りんは思案した。


「りん」

自分の名を呼ぶ声に、りんの肩は小さく跳ねた。
固まったまま動けずにいると、再び名を呼ばれた。


静かに襖を滑らすと、銀の妖怪は広い部屋の中央あたり、大きな机に何か書を広げて座していた。

 

「来たければ人を呼べと言った」

「ご…ごめんなさい…」

 


殺生丸は無造作に長い髪を広い背中に流していて、着物はいつものものとは違う。
無論鎧は着けていない。

なんだか違う人みたいだと思った。

殺生丸は、何を言うでもなく立ち尽くしているりんに視線をあげると、小さく音を立てて書を閉じた。

りんがなんという理由なしに己を訪れたことくらい、分かっている。

成長するにつれて減った口数も、いつもなら殺生丸が煩いと顔をしかめるまで喋り通していたりんが、こうも黙っているのは稀である。

なんとなく、その理由も殺生丸は解していた。
淋しげな眉と、物欲しげな視線がそれを物語っている。


殺生丸は腕をついて机から離れ、黙ってりんを見つめた。

りんはおずおずと歩を進め、殺生丸が開けた空間、すなわち殺生丸の膝の上にちょこんと足を曲げて座った。


話したいことというか、訴えたいことは多くあるだろうが、りんはそれについて口を開こうとはしなかった。


「何、読んでたの?」

りんは机の上の閉じられた書を指でなぞった。

「そこにあったから開いていただけだ」

そっけなく返された言葉も特に気にしていないようだ。

「ねぇ、これ何て読むの?」

りんは表紙に書かれた一文字を指差した。

「…解」

「ふぅん…」

わかっておらぬくせに。


「りんも読めるようになりたいなあ」

そう言って書の表紙の文字を、不安定に指でなぞった。

人間にまだ温和な従者を養育につけようか、などということが頭をよぎったとき、襖に小さな影が現れた。


「殺生丸さま、おはようございます。
邪見でございます。
りんの朝餉をご用意いたしましたので、りんを起こしてまいります」

そう声をかけて去ろうとすると、主の部屋の襖が大きく開いた。

「りんここにいるよ」

「なっ…おまっ…」

邪見は唖然としてうまく声が出ない様子。

「おまえ何故ここにいるんじゃ!」

ちらりと横目で主をのぞき見る。
わざとか、ふいと目をそらして邪見を見ようとしない。

…あのお方は…!

「ほいほい来てもよいところではないぞ!殺生丸さまのお邪魔をするでない!」

「なんで?」

「なんでって…」


お前が年ごろの娘だからじゃ、など言えるかっ!

「と、とにかく部屋へ戻れ!お前の朝餉を持っていかせるから」

今度はりんが横目で殺生丸を見た。

「殺生丸さまと食べちゃだめ?」

深い深いため息が小さな妖怪からこぼれる。

「だめじゃ!ほら、いいからゆくぞ!」

「でも一人であんな広いお部屋で食べたって、おいしくないんだもん…」

しょんぼりと俯くりんに、さすがに邪見も不憫に思った。
だからと言ってよくわからぬ立場のりんを館の主といつまでもいさせるわけにはいかない。


「ここに運べ」

「は?」

唐突に口を開いた殺生丸に、邪見は呆けた顔をする。
一方りんは満面の笑みを咲かせた。

「…ここで食せば良い」

「し、しかし殺生丸さま…」

後の言葉は殺生丸の人にらみによって飲み込まれた。


「ありがとう殺生丸さま!」

りんは喜びを全身にあらわして殺生丸のもとへと駆けた。
りんがおくびも出さず大妖に触れることに、邪見は多少慣れてはいたが、さすがにこのような穏やかな主の顔を拝見するとは思わなかった。

まったくりんには甘いのじゃから…

邪見は恨みがましいため息をひとつ残して、りんの朝餉を出しに去った。
 


結局りんは、殺生丸の言葉通りその部屋で朝餉を元気に平らげた。

「殺生丸さまは食べないの?」

「いらん」

「ふうん・・・」


そういえば、殺生丸が何かを食しているときを見たことがあっただろうかと考えてみた。

「殺生丸さまはお腹すかないの?」

「すかん」

「ふうん・・・」


それも共に過ごすうちにわかるのではないかという気がしていた。


そこへ再びふすまに小さな影が。

「殺生丸さま、お言葉通りご用意しましたが・・・」

「入れ」

襖の向こう側には、人の形をしているが、少し浅黒い肌の妖怪と思われる女が二人立っていた。

りんは反射的に殺生丸の袂を握る。

「りん、お前の侍女だ」

「じ・・・?」

「・・・お前の世話をする」

女は静かにりんに歩み寄り、膝をついた。

「りん様、始めまして、推古でございます」

「宋耶でございます。これからりん様のお世話をさせていただきたく、参りました」

恭しく頭を下げる二人に、りんは戸惑うしかない。

「えっと・・・お願いします・・・」

とりあえず頭を下げてみた。

顔を上げた二人は涼やかに笑うと、りんの手を取った。

「では参りましょう」

「えっ?どこに?」

りんは殺生丸を振り返った。
殺生丸は広い机に頬杖をつき、淡々と言う。

「文字を、知りたいのだろう。教わればよい」

そしてさらに多くの言葉を私に紡げ。

 

いまだに意味を解さないりんをにこやかに二人は連れ去った。


りんは二人に手を引かれ、自分の部屋まで戻った。


「あの・・・何するの?」

戻った部屋には、殺生丸のそれよりは少し小さめの上品な机が置かれていた。

推古はどこぞからか書物を取り出した。

「殺生丸さまに、りん様のご教育をなすようにと申し付けられました。
ご一緒に頑張りましょうね」

「りんの・・・?どうして?」

「殺生丸さまはりん様にすばらしい女性になっていただきたいようです」

すばらしい、女性。

「そうなったらりんはどうなるの?」

宋耶は小さく笑った。

「ますます殺生丸さまはあなた様を愛しむでしょうね」

「いつく・・・?」

「大事に大事に可愛がりなさる、ということです」

大事に、大事に、可愛がり・・・

りんの目は輝いた。

「りん頑張る!」

二人は声を出して笑った。

「はい、でははじめましょう」

多くを習った。
十四といえど、「学ぶ」というものをしたことは一度もない。
数の数え方からいろは歌まで、りんは乾いた布のように早く、たくさんのことを吸収していった。
それは推古と宋耶が驚くほどに。


「今日はここまでにしましょう」

「ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ・・・」

りんは聞いてはいない。

「りん様、一生懸命はよろしいですが、あまり頑張りすぎると疲れてしまいますよ。
お散歩に参りませんか?
そろそろ涼しくなってきた時刻でしょう」

「殺生丸さまも!?」

推古と宋耶は顔を見合わせる。

「殺生丸さまは・・・お仕事があるのではないでしょうか」

途端にりんの顔は崩れる。

「そっか・・・」

宋耶はりんの肩を抱いた。

「さあさあ、そんな顔をなさらず。
もう少ししたら会いに行けばよろしいでしょう。
お外は葉桜が美しゅうございますよ」


りんは再び二人に手を引かれて庭へと出た。
広い庭は、どこまで言っても限りなく思えた。

りんはこの二人といると、不思議とどんなことも楽に話せた。
殺生丸との出会いから、尋ねられたことを素直に答え、そのたびに二人は感嘆の声を上げた。


「二人はずぅ~っとここにいたの?」

「そう、ですね。
私たちの父母もこのお屋敷でお世話になっておりました」

「えっ、二人は姉妹なの?」

そのとおり、推古と宋耶はよく似ている。

「この名前は殺生丸さまのお父上からいただいたのですよ」

「へぇ・・・じゃあ、殺生丸さまが小さいときから?」

二人は記憶を探るように、同じ仕草をした。

「私たちが生まれた頃、殺生丸さまはちょうど今のりん様ぐらいでした」

「殺生丸さまが!?りんくらい!?」

想像してみた。
思うような想像は働かない。
背が縮んだ殺生丸くらいしか考え付かなかった。

「なんか変なの」

二人は吹き出した。

「そろそろ戻りましょう。殺生丸さまのお仕事も終わっているかもしれません。殺生丸さまのお部屋に行かれますか?」

一挙にりんの顔が華やいだ。


薄暗い庭先を歩く。
縁側の先、遠くに人影が見えた。

「まぁ・・・」

「お迎えですわ」

銀の影は、小さな風にその髪をなびかせて佇んでいた。

「殺生丸さま!」

りんは駆け出してその足元にまとわりついた。

「お仕事終わったの?
あのね、りん今日ね・・・」

しばらくこの口は閉じそうにない。

殺生丸が顔を上げると、推古と宋耶の二人は静かに頭を下げて去っていった。
 


「それでね、邪見様が御三時までもってきてくれたんだけどね、りんそのとき「わ」の練習してて、全然・・・」

白く細い指が伸び、懸命に動く薄い唇に触れた。
途端に言葉はぷつりと切れる。
殺生丸の奇怪な振る舞いに、りんは口うるさくしすぎたことを反省しつつじっとしていた。


そのまま指は頬へと滑り、上気した頬を掠めて再び体の横へと戻っていった。

触れていた場所が熱くなる。
しかし急速に冷めていく頬と唇の熱に、りんはどこか物足りないようなおかしなものを感じた。


「・・・邪見が夕餉の支度をしている」

そういって殺生丸は広い背中を向けて屋敷へと歩を進めた。

「あっ、りんもお手伝いする!」

歩き出した背中について駆けながらそう言うと、殺生丸は半ばあきれた顔を見せた。

「・・・必要ない」

「でもなんだか何もしていないのにご飯がもらえるなんておかしいんだもん」

「・・・お前はそこにいればよい」

なおもりんは言葉を返す。

「でも殺生丸さま、前に『自分の食い物は自分で取ってこい』って」


思わずかつての己に舌打ちをする。
小さく息を漏らす。

「・・・好きにしろ」

「ほんと?じゃあ邪見さまに聞いてくる!」


きょろきょろとあたりを見渡し、夕餉の支度と思われる炊き出しの煙を見つけると、りんは一目散にそこへと駆け出した。

その小さくなりつつある背中を眺めて、銀の姿は日の光にさらされて赤く輝いていた。

 

――――

「邪見さま!りんにもお手伝いさせて?」

突然現れた人間の小娘に、一瞬炊事場は静まり返った。

「お、お前、勝手にここへは来るなと殺生丸さまに・・・」

「殺生丸さまはいいって言ってくれたもん」

ほかの妖怪たちの指示に当たっていたらしい邪見は、りんが本気であるらしいことを図っているようである。
そこへ一人の影が現れた。

「まあ、邪見さま。
りんさまにもお手伝いしていただきましょう。
いずれは家事の教養も必要となるのですから」

そういう推古は少し古びた前掛けをりんの首にかけ、紐を結んだ。

「古いものですが、よければお使いください」

「いいの!?ありがとう!」

りんは乳白色の生地に手を滑らせた。
使い込んであるようなそれは、すぐさまりんの手にもなじむようであった。

「ではりんさま、こちらへ・・・」

推古に連れられて、りんは胸を高鳴らせて炊事場の奥へと進んだ。
すでにほかの妖怪たちの視線も気にならなかった。

日も沈み、遠くに従者たちの話声を聞きながら、深けつつある夜に入っていた殺生丸は、騒がしい足音によって書から目を離した。

騒々しくふすまが開く。

「こりゃっ!りんっ、もう少し…」

「殺生丸さまっ!これ、りんが作ったの!!」

少女が差し出した腕には、その身には大きすぎる盆の上に仰々しくおさまった切り身魚の煮物。

「推古さまが教えてくれてね、りんがお魚切ったんだよ!」

見れば、その指には痛々しく赤い線が走っている。

 

こういうときに何を言うべきか、教わったことはない。
「…そうか」

一言つぶやくと、りんは満足げに笑みをこぼす。

「食べて!」

さらに盆をつきだされた。

りんを見る。
期待のこもった瞳が食い入るばかりにこちらを見つめている。
視線を下ろす。
少し皮が剥げた切り身が重く味噌にからまっている。

「…お前が食え」

「殺生丸さまに食べてもらおうと思って作ったのに…」

とたんに首をもたげるりんに、殺生丸はどの言葉をかけようか思案に暮れた。
己が一言「食う」といえば少女の欲は満たされよう。
しかしもとより口にするものは少ない。
ただでさえ、濃く重い匂いが鼻につく。


「なっ?りん、殺生丸さまはこのようなものお口にせんのじゃ。
大人しく…」

再び邪見の言葉は主によって遮られた。

「お前がここでこれを食えばよい。それを見ておれば腹は満たされる」

「ほんと?」

うなずくと、りんは静かに机の上に盆を置いた。

まったく、とため息をつく邪見を冷たい視線で追い返す。

「いただきますっ」

元気に手を合わせ、魚に箸を伸ばす。
それを口へと運ぶと、りんの顔はみるみるなんともいえず苦しい表情。


「…殺生丸さまに食べてもらわなくて良かったかも…
からぁい…」

魚とともに持ってきた水をごくりと飲みほし、再びえいやぁと口に魚を運んだ。

「りんもっと上手になるから、そしたら食べてくれる?」

「…考えておく」

りんは疑い深げな眼をして、再び魚を腹へと収める仕事へと戻った。
 

邪見が持ってきた米もたいらげ、りんは一気に一日の疲れが出たのか、すぐに船を漕ぎ始めた。


「でね、おっかあたちと暮らしてた時は…お味噌に、お塩…入れ…て、使って…」

先ほどまで元気に口を動かしていたかと思うと、りんはこてんと気を失うように、そのまま横へと寝そべった。

殺生丸は手ごろな生地を箪笥から取り出し、それにりんをくるんで抱き上げた。
そのままりんの部屋へと運ぶ。

部屋には、すでに白く清潔な布団が一つ、敷かれていた。

そこにりんを下ろし、上布団をかけた。

己がなぜこのようなことを、などという考えは少しも脳裏をよぎらなかったわけではない。

りんの部屋へと向かいながら、なぜかりんの顔を正視することができなかった。

吸いこまれる。

そう思った。


りんを寝かしつけて立ち上がろうとしたが、何かに阻まれた。

りんの手は幼子のように、殺生丸の着物の裾へと伸びている。

握りしめられた指を解こうと触れたが、りんはますますそれを手繰り寄せる。


…どうすべきか

無理にその手を振りほどくことはできる。
しかしそうすれば、解かれた指が己を探すことは容易に想像がつく。
それを見てしまえば、自責の念に駆られるだろうことは間違いない。

だからといって、一晩この状態で過ごすわけにはいかない。
たいした不都合はないにせよ、そうなれば問題は殺生丸にふりかかる。
まさか己が"理性"を保つことにこうも苦労することになるとは。


さんざん思案した末、殺生丸はりんの布団のそばに横たわった。
右腕を立ててその上に己の頭を置く。
その視線の先には、りんがこちらに顔を向けて一定の寝息を奏でていた。


その安らかな顔も、甲斐甲斐しい寝息も、すべて己のものにしたいという衝動が強くわきあがってくるのを抑えながら、一方でいつまでもこの瞬間が続けばよいと願わずにはいられなかった。

「…まだ早い、か…」

思わずこぼれた言葉を噛み締めて、殺生丸は目を閉じた。


まだ今は、この距離がちょうどよい。
いつかこの腕の中で眠るとき、その時がくれば、逃しはせん――


 

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