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夕月夜


※映画『天下覇道の剣』の描写があります
了承のうえ、読み進めください。






十七夜の空、そこには無数の星々と共にきらめく少し欠けたまるいもの。
こんな日には、人も妖も、そうでないものでさえ、何かの手を止め空を見入ってしまう──

 

 

「ねぇ・・・今宵は月がとても美しいのね。
少し外に出てみましょう」

「いけません、姫様!
夜は妖がどこに潜んでいるのか知れたもんじゃないのですよ!
夜は屋敷でじっとしているのが一番です」


長い髪を後ろになびかせ、美しい単を身にまとった姫は、従者の言うことも聞かず、しずしずと段を降りた。


「・・・まったく。
少しだけですよ・・・」

 

外界は空に浮かぶそれだけに照らされ、すべてが物悲しく映えていた。

…美しい
どうしてこんな綺麗な色を映せるのかしら
・・・夜は不思議ね・・・


姫は空を仰いで、月に向かって微笑んだ。


そんな姫を、屋敷のかわらの上に腰を下ろして眺める一人の妖がいた───

 

 


─────

・・・かわいらしい女だ

闘牙はいつのまにか毎夜足を運ぶようになった屋敷の上から、その女を眺めた。


いつものようにふらふらと散歩に出たはいいものの、少しの好奇心に負けて、つい人の住むところにまで降りてきてしまった。

自分の結界から抜けることには何の恐れもないが、やはり己の妖気に惹かれてやってくるおろかな妖怪は後をたたない。

といってもその莫大な妖気に近づきすぎて自らを滅するものばかりであるが。

 


そこで見つけた、一人の姫。
大きな屋敷に、多くの従者に囲まれて、小さなその人は一人で住んでいた。

 


「…あら…?
何の音かしら…
とてもきれい…」


静かな夜に、その音は高く細く、時には低く太く、十六夜の耳に届いた。


「ねぇ聞こえる?
とてもきれいな音色…」

「いえ、姫様。
何かお聞こえですか?」

「…聞こえないのですか?
…そう…」

十六夜は音のするほうへ顔を向けた。

侍女は姫の夕餉を片づけて簾の向こうへ消えた。


あの音色が気になって仕方がない。

十六夜は侍女の目を盗んでそっと館から忍び出た。


一度途切れたと思った旋律は再び姫の耳に届いた。
十六夜はふらふらとその出所を探す。
いついた場所は、寝殿造りの庭の橋。
そこから見えたのは、そっと開花の力を秘めた桜の樹に腰をかけて笹笛を吹く銀の髪の男──


「…あなたは…」

「やぁ、十六夜」

「…どうして私の名を…?」

「ずっと見てたからさ」

闘牙はさらりと言ってのけた。

おずおずと、十六夜は一歩進んで木を見上げる。

「あなたが、それを吹いていたのね」

「ああ。
とてもいい音だろう?」

「…えぇ…
すごくきれいね」


闘牙は少なからず驚きと戸惑いを感じていた。
思わず姫を誘い出してしまったが、こんなふうに向き合って話すことができるとは思っていなかった。


「どうしてそんなところにいるの?
降りてきたらいいのに」

姫の言葉に、闘牙はふわりと木から飛び降りた。

「ひゃっ…!
危ない!」

十六夜は思わず大きな声を出した。
しかし闘牙は浮かぶようにふわりと着地する。
十六夜はくるくると目を丸くした。

「…あなた…
すごいのね…曲者みたい」

そういって短く笑った。


…普通私が人間であることを疑うだろう

闘牙は半ば呆れたが、そんな十六夜が可愛くてたまらなかった。


「…あなた、名は?
私は、…知っているのでしたね」

「…闘牙、だ。
おかしな名だろう?」

人の名ではないしな。

「どうして?
とても強そうな名前ね。
あなたにぴったり。
その鎧も…あなた異国の人?」

「まあそんなもんだ」

異界の人、のほうがあっているかもしれぬが。

そのとき、二人の背後から叫び声とも怒鳴り声ともつく声が聞こえた。

闘牙にはだいぶ向こうから聞こえていたが、放っておいていた。


「姫様!!
なにをして…
きさま、何者!
姫様に何をしておる!」

「これ、猛丸!
なんという言い方をするのです。
この方は・・・」

何をしに来たのかしら?

ふと、自分がそれを知らないことに気付いた。

「姫様、早くこちらへ!」

十六夜は心配げに闘牙を見上げた。

闘牙はいくがよい、と頷いた。

十六夜はゆっくりと猛丸のもとへ近づいた。


猛丸は十六夜の手を引いて己の背中にまわした。


「…きさま、人ではないな…?」

姫はぱっと口元に手をやった。

「猛丸!
なんということを言うのです!
謝りなさい!」

「いいえ、姫様。
こ奴は妖怪…頭を下げる必要などありません。
…きさま、姫様をかどわかすつもりだったのか」


猛丸はぎっと闘牙をにらんで目をはずさない。
闘牙は肩をすくめた。

「姫以外のここの人間は恐ろしいな。
では退散するとしよう」

そういうと闘牙の周りの空気は渦巻いた。

姫が目を見開いた時には、闘牙の姿は風と共に消えていた。


「さあ姫様、もう大丈夫です。
早く館に入りましょう」

猛丸におされて、十六夜は名残惜しくも屋敷に戻った。


──誰だったのかしら…
猛丸の言うとおり、人ではないのかしら…

…また、話せるときはあるのかしら…

 

しかしまた次の夜、やはりあの笹笛の音──


──あの人がいるんだわ…行きたい。
…でも…


屋敷の外には、猛丸が命じて並べた兵たちが十六夜の護衛にあたっていた。

──私が外に出ることはできない…
あの人は、この兵の数じゃ屋敷にも入れないでしょう──


十六夜は諦め、すこし御簾をあげて外を眺めた。
白い月──

あの人の額にも、そういえば細い月があった――

春少し前の冷たい風が、十六夜の温度を下げる。

はっとして振り向いた。

「…!…あなた…!!
どうやって!?」

「走って入ってきただけだ」

「護衛たちはどうしたの?」

「私が速すぎて見えなかったのではないか?」

十六夜は鈴を転がすように笑った。
冗談だと思ったらしい。

「あなたといると、不思議なことばかりよ」

闘牙の心臓は小さく跳ねた。

「…もっと、不思議なものを見せてやろう――」

闘牙が差し伸べた手を、十六夜は迷うことなくとった。

「…連れて行って」


ふわりと十六夜を抱き上げると、闘牙は一気に高く高く天に昇った。

「…!!あなた…!
どうやって飛んでるの!?」

「お主は本当にどこか抜けておるな。
まだわからぬか?」

十六夜はやはりくりくりと目を動かすばかり。

「私は妖怪だ。この地を治める、西国の王」

十六夜は大きな眼をさらに見開いて、食い入るように闘牙を見つめた。

「…怖くなったか、私が」

闘牙はその青碧とした目を十六夜に注いだ。

「…いいえ。
とても…素晴らしいわ…
だからあなたはそんなにも美しいのね…」

闘牙はさらに強く十六夜を抱きしめた。



「…ここだ」

二人が降り立ったのは、白い小花が一面に広がる花畑。

「…なんて、綺麗なところなの…
この花は、かすみ草?」

十六夜はその場に座り、花に手を伸ばした。
姫の重みで花はふわりと中心に首をもたげる。

「いや、これは妖の花だ。ただの人には見つけられぬ。
…見ておれ」

闘牙は片膝をついて、ふっと花に息を吹きかけた。

その花は青白い光を帯びて、それは周りへまわりへと伝わっていく。

気づけば、辺り一面、満天の星空のようであった。


「…」

「私の妖気を花に吹き込んだ。
お前には、地の星も天の星もよく似合う…」

「…」

「…十六夜?」


何故、喜ばぬ?
気に入らぬのか?
綺麗だと言って、笑ってくれ


闘牙は俯いたきりの十六夜になすすべもなく、自分の背中に冷や汗が滑るのを感じた。

「い、いざよ…」

姫の打ち掛けのうえに、ぽつりと水滴が落ちた。

「…私、こんなにも、素晴らしいものに出会えたのは、初めて…」

十六夜の目に浮かぶものに呆気をとられた闘牙は、あたふたと無意味に手をばたつかせた。

「えっ、おっ…
なっ…何故泣くっ
嬉しいのではないのかっ…」

「とても嬉しいわ」

「それならば、何故…」

「それだから、です」

慌てる闘牙を見て、十六夜は顔を歪ませて笑った。

闘牙の長い爪の指先は、そっと十六夜の目元まで伸びた。

「…いつでも、連れてこよう」


そのまま引き合うように、二人は唇を重ねた。


毎夜毎夜、闘牙は十六夜を迎えに来た。

そのたびに二人は秘境の地に足を運び、二人だけのときを過ごした。


闘牙は自分に妻と子がいることを話した。

「その方たちも・・・犬、なのですか?」

「あぁそうだ。
古代から血を受け継ぐ一族だからな」

十六夜は闘牙の各地での戦いの話を多く聞いた。
そのぶん闘牙は十六夜に人間について聞いた。

二人の間に溝などは、もとより存在し得なかった。


「十六夜は、父と母はおらぬのか?」

一瞬、ふっと十六夜の目に影が走るのがわかった。

「言いたくなければ、いわんでよいぞ」

「いいえ・・・大丈夫よ。
私の父も母も、謀反で殺されたの。
私は両親が残してくれた家で、一生隠れ住んでいくつもりだった──
でも・・・あなたが、来てくれたから──
私の毎日は、一日一日がとても大切なものに変わったわ・・・
ありがとう」


目に涙を浮かべてそう言う十六夜に、闘牙は自分の奥が熱くなるのを感じた。

その細い手首を引いて、自分の下へ手繰り寄せた。
細い肩はすっぽりと闘牙に納まった。


「私も、お前に会えてよかった・・・」

十六夜の額、頬、唇に次々と口づけを落とす。

森の奥深く、上弦の月に見つめられたまま、二人は結ばれた──

 


─────

二人が逢瀬を重ね始めて一年が過ぎようとしていた。
二人が始めてであった、春───


今宵は、どこへ連れて行ってくれるのかしら・・・
何時もなら、未申の刻には迎えに来てくれるのに、今日は少し遅いわね・・・
すでに申酉の刻を過ぎていた。

十六夜は屋敷の縁側で待ち続けた。
早春の冷たい風は容赦なく十六夜の体を冷やす。

「・・・十六夜様。
今宵奴は来ませぬ」

背後からやって来たのは、不敵とも取れる笑みを浮かべた猛丸。

「あの人は来ます」

きっぱりと迷うことなく答える十六夜に、猛丸の頭は熱くなる。
しかし、自然とその口角は上がる。

「・・・名高い霊媒師に、屋敷の周りに結界を張らせました。
あやつは入って来れませぬ」

「あの人がそのようなものを破るのはたやすいことよ」

十六夜は動じない。

「では、なぜ今宵来ないのですか?」

「・・・」

それにはどうにも答えられない。
事実、闘牙は来なかった。

「・・・結界を解かせなさい」

「それはなりません。
姫様・・・姫様はたぶらかされておるのです!
あやつは・・・血に飢えた妖でありますぞ!?
そのようなものに心奪われるとは・・・おいたわしゅうございます・・・」

「あの人はそんなんじゃないわ」

突然、猛丸は十六夜を抱き寄せた。

「なっ・・・離しなさい!猛丸!」

「姫様・・・無礼をお許しください・・・
この猛丸、ずっと、姫様が幼い頃からあなた様を見ておりました・・・
お慕い申しております・・・
私なら、あなたを永遠に守ってゆける」

「猛丸・・・うっ・・・!?」


十六夜は腹部に激痛を感じた。

「姫様!?どうなされました!?
姫様───っ!!」

猛丸は気を失った十六夜を抱き留めた。

 


─────

屋敷の外では、闘牙は頭を抱えていた。

は・・・入れぬ・・・
結界・・・か・・・

屋敷中を張り巡らしている結界は、人間が張ったものとはいえ、案外強かった。

あいにく闘牙は十六夜と会うときは鎧・武器の類を一切持ってこないことにしていた。

十六夜を抱きしめるときに邪魔だからだ。


今宵は、会えぬ・・・か・・・
まぁ、いい。
十六夜の護衛の手が緩んだときに入り込めば・・・
そう思い、闘牙はしぶしぶ帰路へとついたのであった。



「…御懐妊…!?」

「はい…どうやらそのようで…
めでたきことなのですが…
いったいそのお相手は…?」

猛丸は奥歯をかみしめた。

「十六夜様のもとへ、誰一人として入れるな!
侍女も限られてものだけだ。
護衛は倍に増やせ!
姫様を…あの化け物から御守りせねば…」

 


―――――

闘牙は鉄砕牙を携えて城の前までやってきた。

「赤い鉄砕牙!
結界を切り裂け!」

赤く輝いた鉄砕牙は、一瞬にして城の結界を消し去った。


十六夜…
私のことを心配しただろうか…

 

「!」

風のにおいを敏感に感じ取り、闘牙は飛んできた矢をひらりとかわした。

「いきなり攻撃しかけるとは、無礼な奴よのぉ」

眼下には、矢を構えた何百もの護衛と鎧で自らを固めた猛丸がいきり立っていた。

「降りてこい!妖怪!
十六夜様のもとへは通すまい!」


闘牙は思わず鼻で笑った。

「できるものならな。
かまわず行かせてもらうぞ」


「させん!
はなて!!」


一斉に矢が放たれた。
下から降る雨のように、矢は闘牙に降り注ぐ。

しかしただの人間が、しかも下から放った矢が大妖を傷つけるはずもなく、無情にも跳ね返った矢だけがぽろぽろと無数に地に返っていく。

「くっ…化け物め」

猛丸は十六夜の寝所へと走った。

 


「十六夜…十六夜。
私だ…」

「…あなた…」

か細い声が耳に届いた。
奥には横になる十六夜がいた。

「十六夜?
調子が悪いのか?」


「待て!!」

猛丸が追ってきた。

十六夜は思わず闘牙の手を強く握った。


十六夜…


闘牙は十六夜をすくうように抱き上げると、猛丸の目を巻くように風をあげて、屋敷を飛び立った。

「行かせはせん!」

猛丸は迷わず弓を引いた。

「!!」

十六夜の声にならない叫びがこだまする。
矢は闘牙のよろいが覆いきらない背中に鋭く突き刺さった。
それも構わず闘牙は障子を突き抜けて飛び立った。

「くそ・・・」

猛丸は弓を下ろして、二人が消えた闇夜を睨んだ。

 

十六夜は、何度も何度も矢の刺さった背中を心配したが、闘牙は構わず飛び続けた。
早く、二人だけになれるところへ行きたかった。

二人が逢瀬を重ねたあの花畑に降り立つと、闘牙はそっと十六夜を下ろし、おもむろに背中から矢を抜いた。

「・・・ごめんなさい・・・」

「何故、お前が謝る」

「・・・猛丸は、私のことを心配しているだけなのです・・・」

「・・・わかっておる」

闘牙は十六夜を抱き寄せた。
その肩は折れてしまうかと危惧するほど細かった。

「突然連れ出して悪かった・・・体はつらくないか?」

「大丈夫・・・」

どこか所在無げな十六夜に、闘牙の心配はますます募る。

「やはり城へ戻るか」

再び十六夜を抱き上げようとすると、十六夜は闘牙の着物を掴んで首を振った。
促されるままにその場へしゃがみこんだ。
十六夜はうつむいたまま、口を開いた。

「あなたの子が・・・お腹に、授かりました・・・」


かくっと音が聞こえるかと思うほどの勢いで、闘牙のあごが落ちた。
十六夜はそっと顔を上げてぎょっとする。
なんともだらしない顔で、闘牙は瞳を潤ませていた。
思わず十六夜は吹き出した。

闘牙は長いまつげでその水滴を飛ばすと、そっと十六夜の腹に手を添えた。

「私の子が・・・ここにいるのか」

新しい命が宿った十六夜の体は、どこか神秘的で、温かく、闘牙は中からこみ上げるいとしさに突き動かされるように、十六夜を抱きしめた。

「・・・ありがとう、十六夜・・・」

十六夜は抱きしめられたまま、涙が自分の頬から闘牙の肩へと伝うのを感じた。



「そういえば、あなた・・・どうやって屋敷に入ってきたの?結界が・・・張ってあったというのに」

「おぉ、結界がはってあると気付いてな、私の牙で刀を打たせたのだ。・・・お前を、守るための刀だ・・・ゆえに、結界でさえも斬れる」

「牙?」

十六夜は闘牙の口元を覗き込んだ。
闘牙は軽く笑う。

「私の牙や歯などすぐに生え変わってくる。先刻の傷ももう治った」

はっとしてその背に回ると、すでに矢が刺さった後もない。

「・・・すごいのですね・・・」

十六夜はそのまま立ち上がろうとして、世界が回るのを感じた。
自分自身がふらついていた。

「・・・十六夜!?」

「・・・大丈夫、少し、目が・・・」

顔をゆがませて微笑む十六夜に、闘牙ははっとして軽く息を呑んだ。

「・・・十六夜・・・よく聴け。お前の腹の子は・・・私の強い妖力を、その妖怪の血を引いておる。それはお前の体内にも流れ込んで、お前の体を蝕む・・・だから・・・」

「いやよ」

闘牙が言い切る前に、十六夜はきっぱりと言い放った。

「・・・十六夜、今なら私の館の薬師の薬で、子を・・・」

「いや。産みます」


闘牙とて、けして子がいらないわけはない。
だが、それよりも・・・

「・・・十六夜・・・私はお前を、失くしたくはない・・・」

闘牙は懇願するように、十六夜の細い肩に手を置いた。

十六夜は目を伏せて、守るようにその腹部をさすった。

「・・・私も、この子を失くしたくない・・・この世で初めて愛した人の子です。私がどうなろうと・・・この子を産みます」

その目は誰も、闘牙でさえも受け付けない強い光が宿っていた。
感服した。

・・・強い女だ・・・

「・・・わかった。私たちの子を・・・産んでくれ」

十六夜は顔を上げて、花開くように微笑んだ──



「体を冷やしてはいかんしな」

帰るか、と言いかけて、ふととどまった。

――あそこには帰したくない…

直観的なものだったが、思わず険しい顔になった。
そんな闘牙を見て、十六夜は柔らかく笑った。

「…帰りましょう。私は、心配いりません」

闘牙の気持ちをくみ取ったかのような言葉に、闘牙も安心した。

「…そうか」


二人は再び同じ道をたどり、屋敷へと戻った。

兵が控えているといけないからと、十六夜は屋敷の門前で闘牙から降りた。
身重の十六夜を歩かせるのは不安であったが、城の者がすぐに気付くであろうということで、二人は別れた。


子が生まれるまで、しばし会えぬな…

おそらく、闘牙が会いに来るたびに多勢の兵が攻撃を仕掛けるだろう。
闘牙にとってはどうということないが、十六夜に心配をかけることは負担になる。
そんな闘牙の気持ちを十六夜も理解していた。


子は冬に生まれるのか…

闘牙は十六夜の身体が心配ではあったが、やはり待ち遠しくもあった。
闘牙にとって十月(とつき)など一瞬のことである。
浮足立つとはまさにこのことで、早くこの顔が見たいとそればかり考えていた。

竜骨精から傷を受けるまでは。

 


西国を荒らす竜がいると聞いてじっとしていられないのは昔からの性分である。
すかさず噂の谷まで出向いた。

――占師の話では、今宵が子の出産日になるらしいと聞いていたからか、思いのほかてこずった。

自らの牙で封印することまでこじつけたが、その時にはすでに己の体は切り刻まれていた。


しかし、行かなくては。

自分の死期を思わず近くに感じた闘牙は、血の滴る体を引きずり、まずは自分の屋敷に帰った。

止める冥加を連れたまま、闘牙は化け犬姿で十六夜の屋敷まで飛んだ。

 

大量の、松明の油のにおい…

すぐに猛丸が兵を挙げているのだと気付いた。
そんなものにひるむ暇もない。
闘牙は屋敷へと駆け出した。


 

 

十六夜は陣痛と、腹部から波打つように伝わる妖気に息も絶え絶えになりながら、御簾の隙間からのぞく月を拝んだ。
想いを馳せるのは―――

「あなた…」

 


がむしゃらに走った。
ほとばしる血は容赦なく自らの銀毛を赤に染めた。

「無理ですじゃ!無茶ですじゃ!
どうかお考え直しくださいませ!
御館様はまだ、竜骨精と戦った時の傷が癒えてないではありませぬか!」

冥加は飛ばされまいとその毛に必死につかまり、声を限りに叫んだ。

しかし闘牙は構わず走り続けた。

「あれを死なせるわけにはいかん…!
…それに…私はもう長くはない」

闘牙の言葉にはっとする。
月はすでにその姿を朧にしていた。

 

 


猛丸は十六夜の寝所の前で、空を見上げた。

「月食か…物の怪退治にはふさわしい夜よ」

寝所の御簾を巻きあげ、中へ入った。


「誰です…」
十六夜のか細い声が聞こえる。

「刹那の猛丸にございます」
十六夜はふっと息をついた。

「猛丸…ちょうどよかった…一刻も早く、表の兵たちとともに立ち去りなさい…あの人に敵うものなど…誰ひとりいないのですから…」

十六夜の息はますます荒く短くなっていく。

「十六夜様…
私はあなた様をお慕い申しておりました…
…たとえ、あなたが物の怪などに心奪われようと…!」


猛丸は、槍をもった腕を高くふりあげ、そのまま十六夜の胸へと振り下ろした。

苦しげな十六夜の呻きがこだまし、やがて絶えた。

 

「我が想いは、永久(とわ)に変わりませぬ…!」

 

闘牙は屋敷の兵を一瞬でなぎ倒し、屋敷の正面で十六夜の匂いを探した。

「十六夜!十六夜!」

…大量の血の匂い…
これは、十六夜の…

 

「よく来たな、物の怪!」

目の前に猛丸が立ち塞がった。
猛丸の口角は自然と持ちあがる。


「少し遅かったがな…十六夜様はお前の手の届かぬところにお連れした…私の、この手でな!」
 
闘牙は奥歯を噛み締めた。
鈍い音がする。

「…馬鹿が!!」


鉄砕牙を構えて猛丸の懐に入った。
人が妖の速さと比較するにも及ばず、猛丸は瞬く間もなくその左半身を切り刻まれ、左腕はぼとりと落ちた。

闘牙はそのまま屋敷へ飛び込んだ。
猛丸は片膝をつくと、鬼のごとき形相で叫んだ。

「火を放て!物の怪を、屋敷もろとも燃やしてしまえ!!」

 

闘牙は必死になって十六夜の匂いを拾おうとした。
自分の血、猛丸の血、十六夜の血…
さまざまな匂いが求める匂いをかき消す。

はっとして振り向くと、御簾に囲まれた一角もまた、ぱちぱちと火に爆ぜていた。

駆け寄り御簾をめくると、そこには自らの血にまみれ、事切れた十六夜がいた。

闘牙の心臓は掴まれたかのようにぐっと小さくなる。

…頼むぞ、天生牙…!


闘牙は黄泉の国の使いを残さず切り払った。
目を開けた十六夜に、火鼠の衣を被せる。
十六夜が事切れる寸前に産み落とされた赤子は、十六夜に抱きあげられて思い出したかのように泣きだした。


ふらりと猛丸が現れた。

「貴様となら悔いはない…
このまま黄泉の国へと旅立とうぞ…!」

猛丸は刀を構えた。
闘牙と戦うつもりであった。

闘牙は背から叢雲牙を抜き取る。


「生きろ…!」


「あなた…」

 


「…犬夜叉…」
闘牙の呟きに猛丸が反応する。

「なに?」

「子供の名だ…その子の名は、犬夜叉!
さあ、行け!」

「はい…!」


十六夜は闘牙の声に背中を押されて、赤子を抱いて火の回った屋敷から走り出た。


中では闘牙と猛丸が刃を交える、きぃん、きぃんといった音が冷たい空に響いていた。

 


…犬夜叉…

十六夜はそっと赤子が纏う布を捲った。
小さな犬耳を持った赤子は、はらはらと舞う雪の中、温かな母の腕の中で元気よく泣いていた。


…この子と、生きていく…!
あの人の分まで、私がこの子を守る…!



――――――

半妖の子に、妖怪の子をなした女に、世間はやはり冷たかった。

小さな母と子が暮らしていくには、平安の都は大きすぎ、世間の目から逃れて暮らすには狭すぎた。


人の子であれば、元服の刻であった犬夜叉も、その儀式さえ、ましてや都の中で生きることさえ阻まれた。


強くありたいと、犬夜叉を守ることができるように強くありたいと思っていたが、いつもさびしげに佇む子を見ては、涙を流さずにはいられなかった。

だからそのぶん、父の話を聞かせた。

 

 

闘牙はあの後、炭と化した屋敷から出てきた。
泣き崩れる十六夜をその子もろとも強く抱きしめた。
これが今生の別れになると、二人ともわかっていたから。

いつもの顔で大きく笑い、どこかへ飛び立つ闘牙を十六夜は止めなかった。


どこへも行かないで
ずっと私とこの子のそばにいて…!

闘牙の背中に投げかけたい言葉は多くあったが、冷静な自分が無駄だと言っていた。


だからこそ、その背中をいつまでも見つめていた。
脳裏に焦げ付くほど、強く――

 

しかしやはり、犬夜叉と闘牙の妖力を一身に浴びたその身は徐々に蝕まれていた。
犬夜叉が成長したころには、すでに寝所にこもりきりとなった。

 

「母上…」

不安げに犬夜叉が顔をのぞかせる。

…私が果てたら…この子はここにはいられない…

それだけが心配でならなかったが、やはり体内を駆け巡る妖気にもともと強くはない身体は悲鳴を上げていた。
すでに時間は残されていなかった。

 

 


…なんだか、あの人と出会っていた時がすべて夢だったみたい…

すべての色が鮮やかで…
あの人のまわりだけ、いつも華やいでいたから…
私はただ、思い出が色褪せるのが怖かった…

…あちらでも、人と妖怪はともにいられるのかしら…
もしそれが許されなくても…次は私が会いに行く…
あの人が迎えに来る前に、会いに行く…

 

 

――願わくば、犬夜叉があの人のように強く優しくなりますよう――

――願わくば、再びあの人と同じ時を生きられますよう――

 

「母上ーーー!!」
子の涙が微笑む十六夜の頬に落ちる。

 

 

――願わくば、あの笑顔をもう一度――


 

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