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若菜


鳥のさえずりと、桜の青葉が風になく音を遠くに聞きながら、りんはうっすらと目を開けた。

こんな小さな音で目が覚めるなんていつ振りだろう。
いつもなら、お天道様がまぶたを照らす明るさで目覚めていた。


遥か高くに天井がある。
上品な木の香りが鼻を掠める。

こんな元気なさえずりが聞こえる朝なら、目を開けたとたん視界は青でいっぱいになるはずなのに。


ふと自分が温かなものに包まれて寝ていることに気付いた。

…お布団。


寝ぼけ眼をこすってはっとした。
そうだ、昨日から殺生丸さまのお屋敷に…

せわしく起き上がり、周りを見渡した。

相変わらず閑散とした部屋がりんを見つめ返してくる。
目覚めて一番に見える姿がないことに、りんは少々落胆した。

―殺生丸さまのところに行こう。

思い立つや否や、りんは襖を小さく開けて外の様子をうかがい、そっと廊下へ出た。

渡りを通って昨日教えてもらった殺生丸の部屋へと向かう。

…ここ、だよね


そこはほかの部屋同様に締め切られた襖が立ちはだかっていた。

別の部屋から少し話声が聞こえる。
従者の妖怪たちだろう。


殺生丸さま、もう起きてるかな。
りんのほうが早く起きたことなんてないからきっと起きてるよね。
…もしかしてもうどこか行っちゃったのかな。
お部屋…とっても静かだし…

襖に伸ばした手を宙に浮かせたまま、りんは思案した。


「りん」

自分の名を呼ぶ声に、りんの肩は小さく跳ねた。
固まったまま動けずにいると、再び名を呼ばれた。


静かに襖を滑らすと、銀の妖怪は広い部屋の中央あたり、大きな机に何か書を広げて座していた。

 

「来たければ人を呼べと言った」

「ご…ごめんなさい…」

 


殺生丸は無造作に長い髪を広い背中に流していて、着物はいつものものとは違う。
無論鎧は着けていない。

なんだか違う人みたいだと思った。

殺生丸は、何を言うでもなく立ち尽くしているりんに視線をあげると、小さく音を立てて書を閉じた。

りんがなんという理由なしに己を訪れたことくらい、分かっている。

成長するにつれて減った口数も、いつもなら殺生丸が煩いと顔をしかめるまで喋り通していたりんが、こうも黙っているのは稀である。

なんとなく、その理由も殺生丸は解していた。
淋しげな眉と、物欲しげな視線がそれを物語っている。


殺生丸は腕をついて机から離れ、黙ってりんを見つめた。

りんはおずおずと歩を進め、殺生丸が開けた空間、すなわち殺生丸の膝の上にちょこんと足を曲げて座った。


話したいことというか、訴えたいことは多くあるだろうが、りんはそれについて口を開こうとはしなかった。


「何、読んでたの?」

りんは机の上の閉じられた書を指でなぞった。

「そこにあったから開いていただけだ」

そっけなく返された言葉も特に気にしていないようだ。

「ねぇ、これ何て読むの?」

りんは表紙に書かれた一文字を指差した。

「…解」

「ふぅん…」

わかっておらぬくせに。


「りんも読めるようになりたいなあ」

そう言って書の表紙の文字を、不安定に指でなぞった。

人間にまだ温和な従者を養育につけようか、などということが頭をよぎったとき、襖に小さな影が現れた。


「殺生丸さま、おはようございます。
邪見でございます。
りんの朝餉をご用意いたしましたので、りんを起こしてまいります」

そう声をかけて去ろうとすると、主の部屋の襖が大きく開いた。

「りんここにいるよ」

「なっ…おまっ…」

邪見は唖然としてうまく声が出ない様子。

「おまえ何故ここにいるんじゃ!」

ちらりと横目で主をのぞき見る。
わざとか、ふいと目をそらして邪見を見ようとしない。

…あのお方は…!

「ほいほい来てもよいところではないぞ!殺生丸さまのお邪魔をするでない!」

「なんで?」

「なんでって…」


お前が年ごろの娘だからじゃ、など言えるかっ!

「と、とにかく部屋へ戻れ!お前の朝餉を持っていかせるから」

今度はりんが横目で殺生丸を見た。

「殺生丸さまと食べちゃだめ?」

深い深いため息が小さな妖怪からこぼれる。

「だめじゃ!ほら、いいからゆくぞ!」

「でも一人であんな広いお部屋で食べたって、おいしくないんだもん…」

しょんぼりと俯くりんに、さすがに邪見も不憫に思った。
だからと言ってよくわからぬ立場のりんを館の主といつまでもいさせるわけにはいかない。


「ここに運べ」

「は?」

唐突に口を開いた殺生丸に、邪見は呆けた顔をする。
一方りんは満面の笑みを咲かせた。

「…ここで食せば良い」

「し、しかし殺生丸さま…」

後の言葉は殺生丸の人にらみによって飲み込まれた。


「ありがとう殺生丸さま!」

りんは喜びを全身にあらわして殺生丸のもとへと駆けた。
りんがおくびも出さず大妖に触れることに、邪見は多少慣れてはいたが、さすがにこのような穏やかな主の顔を拝見するとは思わなかった。

まったくりんには甘いのじゃから…

邪見は恨みがましいため息をひとつ残して、りんの朝餉を出しに去った。
 


結局りんは、殺生丸の言葉通りその部屋で朝餉を元気に平らげた。

「殺生丸さまは食べないの?」

「いらん」

「ふうん・・・」


そういえば、殺生丸が何かを食しているときを見たことがあっただろうかと考えてみた。

「殺生丸さまはお腹すかないの?」

「すかん」

「ふうん・・・」


それも共に過ごすうちにわかるのではないかという気がしていた。


そこへ再びふすまに小さな影が。

「殺生丸さま、お言葉通りご用意しましたが・・・」

「入れ」

襖の向こう側には、人の形をしているが、少し浅黒い肌の妖怪と思われる女が二人立っていた。

りんは反射的に殺生丸の袂を握る。

「りん、お前の侍女だ」

「じ・・・?」

「・・・お前の世話をする」

女は静かにりんに歩み寄り、膝をついた。

「りん様、始めまして、推古でございます」

「宋耶でございます。これからりん様のお世話をさせていただきたく、参りました」

恭しく頭を下げる二人に、りんは戸惑うしかない。

「えっと・・・お願いします・・・」

とりあえず頭を下げてみた。

顔を上げた二人は涼やかに笑うと、りんの手を取った。

「では参りましょう」

「えっ?どこに?」

りんは殺生丸を振り返った。
殺生丸は広い机に頬杖をつき、淡々と言う。

「文字を、知りたいのだろう。教わればよい」

そしてさらに多くの言葉を私に紡げ。

 

いまだに意味を解さないりんをにこやかに二人は連れ去った。


りんは二人に手を引かれ、自分の部屋まで戻った。


「あの・・・何するの?」

戻った部屋には、殺生丸のそれよりは少し小さめの上品な机が置かれていた。

推古はどこぞからか書物を取り出した。

「殺生丸さまに、りん様のご教育をなすようにと申し付けられました。
ご一緒に頑張りましょうね」

「りんの・・・?どうして?」

「殺生丸さまはりん様にすばらしい女性になっていただきたいようです」

すばらしい、女性。

「そうなったらりんはどうなるの?」

宋耶は小さく笑った。

「ますます殺生丸さまはあなた様を愛しむでしょうね」

「いつく・・・?」

「大事に大事に可愛がりなさる、ということです」

大事に、大事に、可愛がり・・・

りんの目は輝いた。

「りん頑張る!」

二人は声を出して笑った。

「はい、でははじめましょう」

多くを習った。
十四といえど、「学ぶ」というものをしたことは一度もない。
数の数え方からいろは歌まで、りんは乾いた布のように早く、たくさんのことを吸収していった。
それは推古と宋耶が驚くほどに。


「今日はここまでにしましょう」

「ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ・・・」

りんは聞いてはいない。

「りん様、一生懸命はよろしいですが、あまり頑張りすぎると疲れてしまいますよ。
お散歩に参りませんか?
そろそろ涼しくなってきた時刻でしょう」

「殺生丸さまも!?」

推古と宋耶は顔を見合わせる。

「殺生丸さまは・・・お仕事があるのではないでしょうか」

途端にりんの顔は崩れる。

「そっか・・・」

宋耶はりんの肩を抱いた。

「さあさあ、そんな顔をなさらず。
もう少ししたら会いに行けばよろしいでしょう。
お外は葉桜が美しゅうございますよ」


りんは再び二人に手を引かれて庭へと出た。
広い庭は、どこまで言っても限りなく思えた。

りんはこの二人といると、不思議とどんなことも楽に話せた。
殺生丸との出会いから、尋ねられたことを素直に答え、そのたびに二人は感嘆の声を上げた。


「二人はずぅ~っとここにいたの?」

「そう、ですね。
私たちの父母もこのお屋敷でお世話になっておりました」

「えっ、二人は姉妹なの?」

そのとおり、推古と宋耶はよく似ている。

「この名前は殺生丸さまのお父上からいただいたのですよ」

「へぇ・・・じゃあ、殺生丸さまが小さいときから?」

二人は記憶を探るように、同じ仕草をした。

「私たちが生まれた頃、殺生丸さまはちょうど今のりん様ぐらいでした」

「殺生丸さまが!?りんくらい!?」

想像してみた。
思うような想像は働かない。
背が縮んだ殺生丸くらいしか考え付かなかった。

「なんか変なの」

二人は吹き出した。

「そろそろ戻りましょう。殺生丸さまのお仕事も終わっているかもしれません。殺生丸さまのお部屋に行かれますか?」

一挙にりんの顔が華やいだ。


薄暗い庭先を歩く。
縁側の先、遠くに人影が見えた。

「まぁ・・・」

「お迎えですわ」

銀の影は、小さな風にその髪をなびかせて佇んでいた。

「殺生丸さま!」

りんは駆け出してその足元にまとわりついた。

「お仕事終わったの?
あのね、りん今日ね・・・」

しばらくこの口は閉じそうにない。

殺生丸が顔を上げると、推古と宋耶の二人は静かに頭を下げて去っていった。
 


「それでね、邪見様が御三時までもってきてくれたんだけどね、りんそのとき「わ」の練習してて、全然・・・」

白く細い指が伸び、懸命に動く薄い唇に触れた。
途端に言葉はぷつりと切れる。
殺生丸の奇怪な振る舞いに、りんは口うるさくしすぎたことを反省しつつじっとしていた。


そのまま指は頬へと滑り、上気した頬を掠めて再び体の横へと戻っていった。

触れていた場所が熱くなる。
しかし急速に冷めていく頬と唇の熱に、りんはどこか物足りないようなおかしなものを感じた。


「・・・邪見が夕餉の支度をしている」

そういって殺生丸は広い背中を向けて屋敷へと歩を進めた。

「あっ、りんもお手伝いする!」

歩き出した背中について駆けながらそう言うと、殺生丸は半ばあきれた顔を見せた。

「・・・必要ない」

「でもなんだか何もしていないのにご飯がもらえるなんておかしいんだもん」

「・・・お前はそこにいればよい」

なおもりんは言葉を返す。

「でも殺生丸さま、前に『自分の食い物は自分で取ってこい』って」


思わずかつての己に舌打ちをする。
小さく息を漏らす。

「・・・好きにしろ」

「ほんと?じゃあ邪見さまに聞いてくる!」


きょろきょろとあたりを見渡し、夕餉の支度と思われる炊き出しの煙を見つけると、りんは一目散にそこへと駆け出した。

その小さくなりつつある背中を眺めて、銀の姿は日の光にさらされて赤く輝いていた。

 

――――

「邪見さま!りんにもお手伝いさせて?」

突然現れた人間の小娘に、一瞬炊事場は静まり返った。

「お、お前、勝手にここへは来るなと殺生丸さまに・・・」

「殺生丸さまはいいって言ってくれたもん」

ほかの妖怪たちの指示に当たっていたらしい邪見は、りんが本気であるらしいことを図っているようである。
そこへ一人の影が現れた。

「まあ、邪見さま。
りんさまにもお手伝いしていただきましょう。
いずれは家事の教養も必要となるのですから」

そういう推古は少し古びた前掛けをりんの首にかけ、紐を結んだ。

「古いものですが、よければお使いください」

「いいの!?ありがとう!」

りんは乳白色の生地に手を滑らせた。
使い込んであるようなそれは、すぐさまりんの手にもなじむようであった。

「ではりんさま、こちらへ・・・」

推古に連れられて、りんは胸を高鳴らせて炊事場の奥へと進んだ。
すでにほかの妖怪たちの視線も気にならなかった。

日も沈み、遠くに従者たちの話声を聞きながら、深けつつある夜に入っていた殺生丸は、騒がしい足音によって書から目を離した。

騒々しくふすまが開く。

「こりゃっ!りんっ、もう少し…」

「殺生丸さまっ!これ、りんが作ったの!!」

少女が差し出した腕には、その身には大きすぎる盆の上に仰々しくおさまった切り身魚の煮物。

「推古さまが教えてくれてね、りんがお魚切ったんだよ!」

見れば、その指には痛々しく赤い線が走っている。

 

こういうときに何を言うべきか、教わったことはない。
「…そうか」

一言つぶやくと、りんは満足げに笑みをこぼす。

「食べて!」

さらに盆をつきだされた。

りんを見る。
期待のこもった瞳が食い入るばかりにこちらを見つめている。
視線を下ろす。
少し皮が剥げた切り身が重く味噌にからまっている。

「…お前が食え」

「殺生丸さまに食べてもらおうと思って作ったのに…」

とたんに首をもたげるりんに、殺生丸はどの言葉をかけようか思案に暮れた。
己が一言「食う」といえば少女の欲は満たされよう。
しかしもとより口にするものは少ない。
ただでさえ、濃く重い匂いが鼻につく。


「なっ?りん、殺生丸さまはこのようなものお口にせんのじゃ。
大人しく…」

再び邪見の言葉は主によって遮られた。

「お前がここでこれを食えばよい。それを見ておれば腹は満たされる」

「ほんと?」

うなずくと、りんは静かに机の上に盆を置いた。

まったく、とため息をつく邪見を冷たい視線で追い返す。

「いただきますっ」

元気に手を合わせ、魚に箸を伸ばす。
それを口へと運ぶと、りんの顔はみるみるなんともいえず苦しい表情。


「…殺生丸さまに食べてもらわなくて良かったかも…
からぁい…」

魚とともに持ってきた水をごくりと飲みほし、再びえいやぁと口に魚を運んだ。

「りんもっと上手になるから、そしたら食べてくれる?」

「…考えておく」

りんは疑い深げな眼をして、再び魚を腹へと収める仕事へと戻った。
 

邪見が持ってきた米もたいらげ、りんは一気に一日の疲れが出たのか、すぐに船を漕ぎ始めた。


「でね、おっかあたちと暮らしてた時は…お味噌に、お塩…入れ…て、使って…」

先ほどまで元気に口を動かしていたかと思うと、りんはこてんと気を失うように、そのまま横へと寝そべった。

殺生丸は手ごろな生地を箪笥から取り出し、それにりんをくるんで抱き上げた。
そのままりんの部屋へと運ぶ。

部屋には、すでに白く清潔な布団が一つ、敷かれていた。

そこにりんを下ろし、上布団をかけた。

己がなぜこのようなことを、などという考えは少しも脳裏をよぎらなかったわけではない。

りんの部屋へと向かいながら、なぜかりんの顔を正視することができなかった。

吸いこまれる。

そう思った。


りんを寝かしつけて立ち上がろうとしたが、何かに阻まれた。

りんの手は幼子のように、殺生丸の着物の裾へと伸びている。

握りしめられた指を解こうと触れたが、りんはますますそれを手繰り寄せる。


…どうすべきか

無理にその手を振りほどくことはできる。
しかしそうすれば、解かれた指が己を探すことは容易に想像がつく。
それを見てしまえば、自責の念に駆られるだろうことは間違いない。

だからといって、一晩この状態で過ごすわけにはいかない。
たいした不都合はないにせよ、そうなれば問題は殺生丸にふりかかる。
まさか己が"理性"を保つことにこうも苦労することになるとは。


さんざん思案した末、殺生丸はりんの布団のそばに横たわった。
右腕を立ててその上に己の頭を置く。
その視線の先には、りんがこちらに顔を向けて一定の寝息を奏でていた。


その安らかな顔も、甲斐甲斐しい寝息も、すべて己のものにしたいという衝動が強くわきあがってくるのを抑えながら、一方でいつまでもこの瞬間が続けばよいと願わずにはいられなかった。

「…まだ早い、か…」

思わずこぼれた言葉を噛み締めて、殺生丸は目を閉じた。


まだ今は、この距離がちょうどよい。
いつかこの腕の中で眠るとき、その時がくれば、逃しはせん――


 

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